日本でも、海外の学校でも過ごしてみて、私が感じた教育(育て方)に関しての違いをお話したいと思います。
私自身、海外で育ったわけではないので、海外生活においてかなり驚いたり、参考にすること、勉強になることがとても多かったです。
確かに、日本人は頭が良い子が多く、行儀が良くて協調性もあり、輪の中でうまくやっていくことが出来ます。
どこに行っても、polite!と言われますね。
ただ日本では、どういう形であっても出る杭は打たれてしまったり、右にならえと常に出すぎないように気を付けたり。
得意なことがあっても内緒にしようとしたり、目立たないようにしたり、ととても残念なこともありますね。
本来であれば、自信があるものは、もっと伸ばせるのではないか?と思うのです。
そんな考えから、私の住んでいた海外の環境と日本の教育面(育児など)の違い、そして比べて良い所、参考になるところを挙げてみました。
私の個人的見解が入っていますので、絶対こうだという訳ではありません。
自己責任の違い
娘の行っていた学校では、日本でいう小学校3年生ぐらいになると、鍵つきのロッカーを使用します。
ゲームであろうと、携帯電話であろうと、何を持ってきても構いません。
学校に来ると、そのロッカーに入れて、鍵をかけ、その鍵を自分でしっかり管理するということになります。
もしもなくしてしまったら、スペアは1本先生が保管しています。
また、自分の持っていた鍵をなくしてしまい、先生の持っているスペアもなくしてしまうと、ロッカーを壊さないといけないので、料金が発生する仕組みです。
携帯やゲームなど、学校で禁止するのではなく、出していると盗まれてしまう。
盗まれてしまうと、誰のせいでもなく、ちゃんと管理していなかった自分が悪い、いわゆる自己責任なのです。
自分の大切な物は、自分で取られないようにちゃんと管理する、これって、案外トラブルや親が怒るような原因もなくなることだと思います。
日本での小学校中学年になると、少しづつ知らず知らずのうちに、自己責任を持たせるように変わってきます。
日本での小学校高学年になると、ダンスパーティに参加できるようになります。親同伴ですが。
そういう風に、少しずつ自分の行動に責任を持たされていくのです。
大人になる準備ですね。
日本では、小学生、中学生、高校生とくくりになっているように感じます。
まだ小学生だから、、、もう高校生なんだから、という言葉がよく聞かれると思うのです。
中学生になってすぐ、もう中学生なんだから!と言われても子どもとしては、困るんじゃないかなぁ・・・と思って、どうしたらいいかな、と考えていたので、どうやったら少しずつ責任を持たせていけるのか、というところで、本当に参考になりました!
自分の意見を持つ
これは、とても大きな違いだと思います。
日本では、あえて協調性を大事にするという文化も相まってか、どうしても自分の意見を言うことをあえてしない、ということがよくありますね。
皆で団結して一つのことに向かって頑張るといういい面がある反面、自分個人の意見を持ったり、言ったり、ということが苦手な気がします。
忍耐力があるからこそできる部分ではありますが、やりたい事があるのに、自然と我慢して相手に合わせてしまったり、したい事が出来なかったり、ということも多々あります。
それで済む時はいいのですが、自分の将来に関わることだったり、肝心要のところで癖になり、言えなくなってしまうということは避けたいですね。
そのためにも、日ごろから周りがこうだから、友達がこう言っていたから、ではなく、自分の意見を持つというのは、とても大切なことだな、と思いました。
女子によくある、一緒にトイレに行こうと誘われると、行きたい訳でもないのに行かないといけないような気分になってしまう。本当に行きたいのなら問題はありません。
ですが、本当に行きたいわけではなかったとしたら、最初はいいですが、ストレスにもなりますし、いじめのきっかけを作ってしまう恐れまであります。
自分の気持ちの中で、自分が行きたい訳ではないのに、いやいや行っている状態を自分で作り出しているのですから。
一緒にいたい、や行きたいといいう自分の思いがあれば、いいのです。
どうしても自然と我慢してしまっていると、その自分の思いを自分自身で無視してしまっている形に気付かないで、ストレスをためてしまいます。
娘の行っていた学校では、確かに子ども同士でトイレに行っていたりすることも多々あります。
ただ、びっくりすることに、個室まで一緒に入って、わいわいみんなでトイレしています(^^;)
それもどうなんだ…というところではありますが(ーー;)
子どもにとっては、それも遊びなんですね。楽しいから一緒に行く!
トイレに一緒に行くことが問題ではなく、自分がどうしたいかをちゃんと自分自身わかっている上で、一緒に行くのは、自分が決めているので、あの子が言うから…にはならないはずです。
言える、言えないではなく、自分の中にしっかり意見を持つということが大切ですね。
相手の意見を尊重する、聞く
これは、前に書いた自分の意見を持つ、ということともつながりますね。
最近日本でもディスカッションの場をなるべく学生時代から持たすようになってはきていますが、日ごろからうまく話し合いが出来ているか、というと違うように思います。
日本では、「私は~なんだ。」「僕は~なんだよね。」「よくこういわれるんだ。」
など、自分のことを話し、「私も~って言われる!」「そうそう、私も~なんだよ。」
など、それで話が終わってしまうのがほとんど。
「どう思う?」と意見を求めると、「わからないよ、そんなこと聞かれても。」と嫌がられてしまったり。
コミュニケーションが取れているようで、実は相手よりも自分のことを聞いてほしいと一方通行な話をよく聞きます。
一方海外では、同じように、「私は~なんだよね、よくこういわれるのよ。」と言うと、そこで終わりではなく、それに対してどう思ったか、とか、「それで、どうしたの?」という風に話が進んでいきます。そこから話が始まるんですね。
テーマを投げかけられて、話が始まる、という感じですね。
でも、大切なのはそこから話が始まること。
テーマの投げ合いばかりをしていても、自分の言いたいことを言っているだけで、話は始まっておらず、実は取れていると思っているコミュニケーションは、ちゃんと取れていない、ということになります。
その状態では、海外では日常的にも投げかけられる質問、「あなたはどう思う?」と投げかけられても、答えられないのです。
自分の意見があるない、という前に、相手が何を思って聞いているのか、そういう風に話をしたことがないと、いきなりできないものですね。
日本人が海外に行って、自分の意見を聞かれて答えに困る、というのは、自分の意見を持っていないというところより、相手の真意も見えない、相手の意見を聞く習慣がないというところではないでしょうか。
日ごろからコミュニケーションを見直してみようと思ったきっかけでした(^^)
自立に対する考え方
娘が中学生、高校生になった頃、何度も友人や知り合いに言われたことがあります。
習い事などの送り迎えをしていると、自立させなきゃだめよ!と。
習い事に行くのに、送り迎えをしている=自立ができていない
となるようです。
我が家からすると、一人で行けないのではなく、色々なことを考えた上で、送り迎えをしている、というだけ。
娘は、海外でも普通に一人でも行動できますし、どこへでも苦も無く動くことが出来ます。
ですが、夜が遅くなったり、勉強ややることが多いと、効率を考えたりしたら送り迎えをした方がいい、と話をしています。
その上で、大切なことは、本人のやりたい事のために周りが協力してくれていて、思いやりを持って自分のことを考えてくれていることに「ありがとう」と感謝できるかどうかということ。
習い事の場所まで一人で行けても、自分の意見を言えなかったり、逆に不安で常に友達と行動を共にしか出来なければ、イコール自立できているというのではないのでは?
と思います。
海外では、大抵の国が小さい頃から親が同伴でないと動けないことがほとんどです。
子どもが一人で留守番をすることすらできません。
危険性も高いという部分もありますが、親の責任というところの考え方もあるでしょう。
日本がいかに安全な国かというのを実感しますが、そのことによって、自立するという考え方が違ってしまっては、将来子どもが大人になる過程で逆に苦労してしまう気がします。
まとめ
今回は、海外と日本の子育てや教育に対しての考え方の違いを挙げてみました。
国によっても色々あると思いますが、大きな違いがみられたところをお話しました。
どのことに関しても、共通しているのが、責任という部分だと感じました。
海外では、割と幼いころから自分の意見をしっかり持つように育てられています。
その意見も色々ですが、意見がぶつかった時でも、そのぶつかりもしっかり話し合う習慣がついているのです。
その分、早くから自分の行動や言葉に責任を持っているというところが、子育てにおける根本的な違いではないでしょうか。
その上で、子育てを楽しむことが、私たち親にとっても子どもにとっても一番ですね(^^)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。